Cook a Life

人生をさまざま料理してゆく。

存在を許された異物。

 

誰かと、所謂「付き合う」というのは、相手を日常の深いところに取り込むことだと思っている。

仕事上の人付き合いとも、友人知人とも、家族とも違う、(大抵の人にとっては、その時において)唯一無二の存在。でも赤の他人。そのポジションに長らく誰もいなかったんだけど、つい最近、そこに座る人がやってきた。


結論から先に言うと、もんのすごい疲れてる。

 

 

f:id:cookalife:20180522183339j:imageずっとこうして寝てたいくらいには疲れてる。


もともと恋愛体質で彼氏を切らしたことがなかった自分が数年独り身の時間をすごして、いろんなあれこれがありつつ、実際は1年ちょっとぶりくらいの交際なんだけど、感覚的には5年ぶりくらいの彼氏。
その5年の間で20代から30代になったり、体調を大きく崩して2ヶ月ほぼ寝て過ごしたり、弟が実家を出て母とふたりで過ごす時間が増えたり…様々な変化があった。その中で一番大きな変化というか気付きというか、自分で驚いたのは「自分がめちゃくちゃ内向的な人間だと気付いた」ことだった。

外向的で人といるのが大好きで、毎日誰かと予定があるくらいがいい!と思っていた(今となっては思い違いをしていた)時と、自分自身との付き合い方や時間の使い方がガラリと変わってしまっていて

え、いまさら新しい人間関係に自分のリソースを割くの…????

と、正直言って心が戸惑っている。


じゃあなんで付き合ったんだよ!って自分でもツッコんでしまうけど、この人と一緒にいたいなあ、と思ったのはほんと。
ただ、まだ彼は私の中では「異物」であって、新しく買ったシャツがまだノリパリパリで馴染みきってないとか、新調したベッドの寝心地に慣れていないとか、そういう感じ。これからゆっくりと私の日常に融け込んでいくんだろうなと、そういう静かな確信は持っている。

昔の、外向的という言葉に騙されて自分の心を全然見ていなかったとき。それでもそのときはそのときの最善として、当時の彼氏たちのことが好きだった。鍍金だったかもしれないけど、そのときの真実はそれで、そんな自分で向き合ってきた。

今、自分の深くに潜り込んで、奥底に触れた後の自分で恋人という存在に対峙してみて、誰かとちゃんと生きるということはものすごいエネルギーのかかることだと体感する。そしてとても豊かなことだと感じている。

今はまだ存在を許された異物の彼が、はやく、日常の景色の、一番近いところに在る人になったらいいなと思ってる。その日を思って、私はこの疲れを愛することにした。

いや、疲れんのはしんどいけどな。