Cook a Life

人生をさまざま料理してゆく。

オフに満月、耳にオトノハ。

 

7月に入ってから、なんやかんやと慌ただしくも楽しい日々。

今月初の、完全なオフ。

家から出ずに家のこと、自分のこと。あれこれと。

 

今は、特別で大切なCDをかけながら、ブログを書いている。

 

今日を完全オフにしたのは、スケジュール的に可能だったから、なだけだけど。

期せずして、山羊座の満月と重なった。

 

月にかなり強く意識を置いて生きている自分としては願ったり叶ったり。

今日やるにふさわしいことを、できる範囲でやった。

 

部屋を綺麗にして、自分に意識を向けて、手放すものにはさようならを。

今日までに得られたあらゆることには感謝を。

 

こうして時に立ち止まって、自分自身と、出来事を振り返る。

極力事実ベースで。変に感情を揺さぶられないように。

それでも自然と湧いて来るそれらには寄り添って。

 

そして、相も変わらず煩悩にまみれた願い事を書き連ねる。

だって、欲しいものは欲しいんだもん!

そういう自分も大切にしたい。

聖人君子にはなれないし、ならないし、なるつもりがそもそもない。

 

それでも、そんな私でも、最近はこと、「生かされている」と思わずにはいられないことばかりで、ありがとう、ばかりが口から溢れる。

それしか言えない日々が確実に増えている。

 

今日だって。

これを読んでくれてありがとうね、って。

そしてよかったらこれからもよろしくね、って。

 

変化を恐れている自分もいる。

未知の世界に怯えている自分もいる。

それでもそろり、そろりと、前へと進みたくなるのは

この先に広がるのが絶対的にありがとうの広がる世界だと

なんとなくわかっているからなのだと、おもう。

 

やさしいせかい。


ふと、とある人の横顔を見て。

「ねえ、あの人、あんなに優しい目をしてたっけ?」

そう、隣で呑む友人に訊ねるほど、
その人の目はとても優しかった。
向けられてる対象がそうさせているのかと思ったけど、何を見てるときも、わたしと話すときもそうだったから、
多分もともと優しい目をしてる人で
わたしがそれに気付いてなかっただけのこと。

「そうだよ。わたしの知ってるあの人はあの目」と、友人も言うし。

 
色眼鏡が外されるような出来事があってから、ほんとうに世界がまばゆい。
どこか敵視していた男性の皆々さまはほんとうに優しいし、女性の皆々さまは美しい。
空の青も海の碧もこんなに綺麗だったかな?とおもうほど。


最近もろもろの感覚が本当に、一部過敏過ぎやしないかってくらい鋭くなってきて
これは逆に生きづらいのではと考えたりもする。

 

何も知らず、感じずにいたら
楽に日々過ごせていたのではないか、とか。 

でも、
知る前の日々に戻れることなどなく 

そして、例えば、
吹く風が肌を滑る心地良さであったり
強い陽射しの眩しさであったり
ふとした眼差しの優しさであったり

そういった新し…くもない、今迄気付けなかっただけの宝物のような景色に囲まれることが出来るなら、多少の生きづらさなど引き受けようともおもうわけだ。


昨日は七夕。快晴。
月の引力を感じずにはいられない夜だったな。

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夜道、満ちてゆく月。

 

小暑の宣誓。

 

今日から暦が変わったね、だから、というのでもないけど

思想や思考の言語化というものに、しっかりと取り組んで行こうと思った。

以前も何度も何度もいろんなことをブログにしたためようとしたけど

どうにもこうにも続かなくて、飽きて、消しての繰り返しで。

 

今思えば、あの時は「読んでもらえるようなものを書かなければ」とか

「ちゃんと書かなければ」が先行していたように思う。

 

こうして電波に乗せる以上、読んでもらいたいからではあるのだけど

もう少し、その源の部分を大事にして書いていけたらなと思っていて。

 

料理とか、舞台とか、映画とか、音楽とか

そのほかしたこと見たこと感じたことを

つらりつらりとしたためていけたらと思っています。まる。

 

君が人生の時@新国立劇場 中ホール

 

仕事の関係で一度は諦めたこの舞台を、今日観に来るのは必然だったのだろうなと感じてる。

当初予定した日に観れたとしても、きっとここまで深くは感じられなかったんじゃないかなとおもう。

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平和な安酒場。端の席で優雅に酒を呑むジョー

ジョーの周りで、それぞれに特段相関のない様々な人が、様々な話や出来事を持ってくる。

それを眺め、味わい、時に身を乗り出して触れていくジョー。その様は世界の傍観者のようで、ときには創世者のようで。

 

「人生は芸術だ。帳簿をつけるのとは訳が違う。」

そう言って老人の話に耳を傾けるジョーは、参加者ではなく観測者に過ぎないのだけど、人生を諦めきってはいないその姿がとてもかっこよかったし

こういう在り方、したいな、と、ほぼ不可能だからこそ憧れを抱きましたとさ。

 

さて、blogを改めて始める。

書き初めがこの舞台についての記事でよかった。